ナデシコの色に見る許しとは?|慈悲色の一輪

エッセイ

去年は花を付けず枯れて干し草のようになっていたナデシコの株。今年は春頃から瑞々しい緑の脇芽が出始め、みるみるうちに6月初旬には花を咲かせ始めた。すっかり忘れられた存在のナデシコの「私はここにいます」という健気な主張に心打たれた。大和撫子の由来でもある、清楚で控えめに見えて芯のある姿がそこにあった。

ただ気になることが1つ。

(あれっ?前はもっとピンクが濃くなかったっけ……)

咲き始めた花のどれを見ても白っぽい。

調べてみたところ、定期的な植え替えや切り戻しといった手入れをしていないと新陳代謝が落ち、株は弱って色を出す力をなくすそうだ。

私がお世話をさぼったせいで……申し訳なく思い、なんとかできないかと更に調べると、このまま花が咲き切るまで見守り、秋に切り戻しやおそらく鉢一杯になっているであろう根の先端を切る処理をすると株の若返りが図れるという。

植物って凄い。極細とはいえまだ繋がっている根の先端を切れば若返れるとは!人間ならこうはいかない。人間の手足切断……恐ろしい。

6月の今は咲き終わった花がらを摘み取り種を作らせない処置をするといいらしい。株の体力温存のために。

ここから先は私がふと思ったこと。

色を出すということの大変さ。環境や条件が整わないと難しいということだ。花を咲かせるだけでも力がいる。更に色を出すというのはもう一段階の力、命の出力を上げるというような感覚なのだろうか。

今年のナデシコは、まだ本調子には戻れていない。だが一輪だけ濃いピンク、マゼンタカラーを見つけた。

私はナデシコの精一杯の息吹に慈悲を感じた。ありがとう、今は一輪で十分だよと伝えたい。秋にはちゃんと若返らせてあげるから無理はしなくていいよ。

謝罪の言葉はまだ置かずに、今日も1つ花がらを摘んでいる。

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