「挑戦に遅すぎることはない」という言葉をよく聞く。
ただし、それは趣味の話でのみ成立するということ。
80歳ピアノが肯定される理由は、叩く指が動かなくても、それは誰の迷惑にもならない「自己完結した豊かさ」であること。
そこには納期(期限)も、損益分岐点も、チームへの連帯責任も存在しない。自分を満たすのみに注力していればいいのだ。
ただ自分以外の他者のいる職場ではそれは通用しにくいし、期限というのはやはり存在する。多くの会社が採用している試用期間というシステムがそれを物語っている。
会社という組織は、本人のやる気ではなくコストとリターンで人を、有期限で測る場所であるという現実。
30〜50代を過ぎての中途入社なら、自分の強みを把握して、それを早めに行使し組織に貢献していくのが筋ではないかと思う。仕事ができ仕事でバリューを渡せるならそれが一番自分の消耗が少ない。でも仕事ができなくても嘆くなかれ貢献はできる。体力と仕事に穴を空けない継続性と礼節を提供するのだ。
挨拶や感謝といった当たり前の礼節はチームの摩擦を減らし、自分という存在を組織に馴染ませるための、立派なバリューになる。
なぜこんな内容のブログかというと、仕事が難しくて覚えられないと数カ月で職場を去る30〜50代の同僚を見てきたからだ。彼らは今はちゃんと継続して就業できているのだろうか?
多分彼らは仕事でではなく休まない継続性を提供する側なのに、プライドから自分と向き合うことができなかったか?仕事ができないと自覚するのはとても苦痛を伴うからだ。自分の本質を知れば、転職してうまくいかないということも少しは減ると思うのだが。
転職活動に再起奮闘の思いで「挑戦に遅すぎることはない」と拡大解釈するのは少し危険だ。自分を見つめないままでは、また次の職場を早期退職ということになりかねない。
「お世話になりました」の挨拶もせずに辞めていった彼らにそんなことを願うのは難しいかもしれないが。
つい深く思考してしまう、私は悶々とする毎日なのである。

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