逃げに見えて違うものの正体は耕耘だったというお話。
「若い時の苦労は買ってでもしろ」と昭和世代の私は習った。でも今は得意なことを伸ばして不得意なことはしなくていいという、そんな空気にシフトチェンジしたように思う。不得意を克服するという苦労は極力避けるという雰囲気である。
ただこの視点には、時間を掛けたり準備をしっかりしたりすれば普通以上にできることを排除してしまうというリスクが隠れてはいまいか?
私は以前職場で、全く未経験のパソコン操作を急に求められ、絶句した経験がある。客観的に見て今の自分には到底無理だと感じ「免除してほしい」と半泣きで申し出た。今の状態の私に教えられても徒労しかない、絶対にできるようにはならないとわかっていた。教育係に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
それは外から見れば「逃げ」であるように見えただろう。
しかし私の中では逃げたのではなく、できないとわかっていることに相手の労力を使わせるのが忍びなかった。メタ認知の末の申し出である。
私のこの場合は苦手分野というのでもなかった。まだ耕してもない畑に種を蒔こうとする行為にNOと言ったまでだった。なんと早急、なんと無謀なのだろうと⋯⋯
私にパソコンを、の背景には会社が、事務仕事のできる人が予備にいたほうがいいだろうという安易な考え、補欠要員を作りたかったのだと私は推測している。おそらく私の適性を見たわけではない、適性を見ていたら最初からこんな無茶振りはしない。
ここが肝心なのだが逃げに見えたとしてもそれは私の中では逃げではなかったということで。
今私は、パソコンスクールに通いMOS資格を取得しようとしている。資格を取れた暁には、その業務に挑戦するのもやぶさかではない。
何をするにも準備が必要で、適した季節や時期があるはずだ。
自分自身が整い、挑戦が実を結ぶ可能性が高まったタイミングで苦労することが大事、本来の力が発揮できるというものである。
やぶさかではない、とは言ったものの、今いる会社にはMOS資格を取っても事務仕事ができるようになったとしても秘密にしておく。
実は転職したいがゆえの資格取得なのだ。
今の会社での私は低待遇低賃金なので頑張る場所を変えたいのである。
若い頃にアビバに通ったものの、身に付かなかったパソコンスキルを今になって取得しようとチャレンジすることになろうとは。菜の花のほろ苦さのような人生の醍醐味である。


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