かばんでは毎号、2か月前の号に載った歌を会員が評しています。この記事は3月号に掲載された1月号の歌への評の再録と、評するときに心掛けたことの2部仕立てです。いつもより長めです。
短歌評再録(行間変更あり)
前号評を依頼されて挑戦することにした。一人一首評だが二首目も見てもらったほうが私の思いが伝わる場合には二首目も取り上げている。
評は深く読み解くことで、それぞれの短歌という深海に潜ることに似ている。馬の年に海猿になるとは干支の先取りのようで面白いものだ。羊よ、抜かしてごめん。でも君ら文句は言わないよね。沈黙は得意だろう。では潜るとしようか。
プルタブを完璧な音で起こしたら夜が始まる南千住駅 上尾凜太郎
プルタブ、正式名称ステイオンタブというそうだ。このタブ、昔の外れるタブより押し込む分、力がいる。昔のタイプなら完璧に遠く、軽い音になっていたかもしれない。南千住駅西口を出ると飲み屋街もある、夜は終わらない。
着ぐるみの中身はどこへよれよれの脱け殻に見る中身の中身 Akira
他人は他人 納得したのに 失くした夢の幻肢痛しくしくうずく
一首目、二首目ともに繰り返しを多用し統一感を出している。そして重ねた言葉は失くした夢の痛みを鮮明に浮き彫りにする。その執拗なまでの反復は、読み手の胸に深く突き刺さるのだ。
雨だけどホットケーキのもとがある「おいで卵を割らせてあげる」 蛙鳴
雨に閉じこめられた部屋で、女が男を呼び寄せこう言ったならエロティックだなと感じる。親が子に言うならとても健全なのだが、果たしてどちらなのだろうか……
結婚をしてくれますか折り畳み式の経済力があります 飯島章友
折り畳み式の経済力とはなかなか面白い。日本の衛星の太陽電池パネルに使われたミウラ折りなら、本当に頼もしいことだ。
必要な時にさっと広がり、苦境もしなやかに受け流す。そんな「折り畳み式」の強さこそが、現代の誠実な愛の形かもしれない。
常夜灯「ひよこ電気」と呼ぶたびに夜に生まれる雛の声する 屋上エデン
ひよこ電球でなくひよこ電気なのだ。電球のほうは小型のペットの保温用で常夜灯としては適さないので、おそらくこれはひよこのキャラクターのシェードランプなのだろう。夜だけに命を吹き込まれ鳴く雛は朝の鳥のような騒がしさがない。ここにいますと静かに「ぴよ」と鳴くのだろう。
ブロックとブロック解除をくりかえすハチ公前で恋人を待つ 折田日々希
Xならばブロックしてブロック解除するとフォロー関係がなくなる。インスタはやっていないので定かではないが似ていると聞く。繰り返すとあるので私か恋人かどちらかがまたフォローしたのを外すためにブロックとブロック解除をするのか。ハチ公前で会う男女は恋人というカテゴリーになるだろう、他人から見たならば。
「さみしい」と小鳥はしゃべる本当に寂しいときはただぴいと啼く 沢茱萸
人間の場合、ぴいぴい泣くやぴいぴいうるさい(辞書などではぴーぴー)と畳語で使われることが多く、ぴいぴいという甲高い声をうっとうしいと感じている場合が多い。この「ぴい」はうっとうしくなく静かでただ寂しいのだ。一言の寂しさ。
絶望の最中に次の冬に着るセーターを買う生きようとする ソウシ
未来いや初雪みたいな真っ白いセーターおろす生きてしまった
絶望や孤独といった言葉を使うと何となく様になる。私は二月号で「孤独」を使った。多用厳禁な言葉だとは思う。あなたの「孤独」はどんなものかと聞かれたら口ごもる。
恋人と別れたとき号泣したが孤独だったかといえば……私の孤独の濃度は薄かった。作者の絶望の濃度はどれぐらいか。
作者は絶望したが死ななかったのだ。生き延びたのだ、良かった。
神さまに見つからぬよう猫を抱くわたしが死ぬのはこわくないのに 夏山栞
一月のどこへも向かわないようなかぼそい雨の日に 会いたいよ
わたしは自分が死ぬのはこわくないと言う。愛猫が死ぬのだけはこわいのだ。二首目を読むと愛猫はどうやら神さまに見つかったらしい。死を司る神さまに連れ去られ、会えないのだ。
土曜日の深夜零時からはじめ土砂降りの朝書き終えた詩 野川忍
詩と書いて「うた」と読ませる。短歌の連作か、それとも声に出すことを前提としたポエトリーリーディング用という詩もある。どちらかはわからないが徹夜をしたのだろう。締め切りが迫っていたのだろうか。
行きたいも欲しいもないという祖母が帰省のたびに作るすき焼き 日向むぎ
年を取るとどこか行くのは体力を削るし食べ物も沢山食べられなくなる。鍋物の締めまで食べられない高齢者を知っている。自分はあまり食べられないのに孫の喜ぶ顔が見たくてすき焼きを作る祖母なのだ。
「生きたい」という気持ちは持っていてほしい、いつまでも。
寒いほど色鮮やかな寒紅をあなたに見せる時にだけ差す 藤野富士子
寒中に作られた紅は品質が良く美しいとされる。あなたに少しでも綺麗な姿を見せたい女心が健気である。厳しい寒さの中でこそ際立つ赤は、静かな情熱の証。ただ一人のために装うその一瞬に、凍てつく冬を溶かすような熱が宿る。
ここにある綾波レイを全部くれ明日世界が終わるとしても 本田葵
エヴァンゲリオンで私がわかるのはレイとシンジとアスカだ。アスカは学園モノ(スピンオフなど)では「明日香」という漢字が当てられることもあり、この歌の「明日」という言葉と響き合っている。演出がエモーショナルである。
熊と人が仲良く暮らす山里のAI動画はいつも青空 前田宏
「森のくまさん」のような、一緒に踊ったり歌ったりの実写版か。AIは平気でありえない設定も出してくる。現実にはあり得ないほどの快晴が、かえって不気味で虚構の美しさを際立たせる。便利さと引き換えに、私たちは何を見ているのだろうか。
南天や今年も実れ父母の二人暮らしの故郷の家に 茂泉朋子
難を転じて福となす、南天の鮮明な赤が目に浮かぶ。おそらく成長し家を出た子が高齢の両親の安泰を離れた場所で願っている情景だろう。
同じ境遇の私である、作者への敬意を込めていちごつみにて終わりたいと思う。
ヒヨドリの少し残した南天の残り福あり父母思う 天原一葉
ふう、やっと息継ぎができる。短歌への潜水は疲れる。というのも的外れな評をしてしまっていないかといつも気を回すからだ。
私の好きな映画に託して総括としよう。
私なりのレインボーブリッジは架けられただろうか。あるいは、あの映画の小泉今日子さんのように、読者の心に消えない爪痕を残せていれば本望である。
短歌を評するときに心掛けていること
私は短歌の専門家ではないから選者のような評をすると越権行為になると思っています。短歌は一人称の文学なので「私」なしがよくされる添削です。でも私は、もしかしたら作者は意図して「私」を残しているかもと考えます。作者の意図の重要視と作品のそのままを味わうことを信条としています。
言葉選びについて言いたいことは、絶望や孤独の他にも作品に重厚感が出る言葉がいろいろあると考えています。思いつくところでは「失格」「破壊」「破戒」「禁忌」「大罪」、それに「滅」のつく言葉(破滅・消滅・絶滅・滅亡)などでしょうか。
「失格」と「破戒」は太宰治「人間失格」、島崎藤村「破戒」、小説タイトルから連想しました。小説本体を読まなくてもただならぬ空気感が出ています。
私はかばん2月号掲載の歌で「孤独」を使いました。多用厳禁な言葉だとは思っていてもここでは適切と残しています。以下です。
夕暮れのコンビニ明かりが目の中で特等席に座る私の孤独と
選者なら「私」も「孤独」も削るのかそれは添削してもらったことがないのでわかりません。でも私は煌々としたコンビニの明かりが目に入った瞬間にそれが私の孤独となって像を結んだ感覚だったのです。詩ならば最後は「私の孤独として」と続くのですがこの状態ですでに字余りが甚だしいので「して」を付けずここで止めたわけです。
韻律のいい短歌はすばらしいですが、これは後半七七と整えることができませんでした。「私」抜きにすると像を結んだ感覚に対して表現が弱いと自分なりの判断です。
夕暮れのコンビニ明かりが目の中で特等席に座る孤独と
これではさらりと流れていってしまう。「孤独」の前の「私の」は孤独にラベルをつけるような行為だったと今は思っています。
以上、私の評についてのスタンスと実際の作品による説明でした。
最後に貴重な評をするという機会を与えてくださった「かばん」編集部の皆様へ改めてお礼申し上げます。ありがとうございました。


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