ネゴシエーションは言葉だけではない|日頃のコミュニケーションは信頼貯金

雇用・働き方

うちの職場に数ヶ月違いで入社した高齢の女性パートがいる。年齢はどちらも65歳ぐらい。先に入った人をAさんとする。このAさんは物覚えは悪いし、ミスもたくさんする。でも自分から「教えてください!」と頭を下げて聞きに来るし、間違ったら「ごめんなさい」と謝れる。「自分は仕事の覚えが悪いし要領も悪いけれど、皆さんのおかげで何とかやれています」というようなことを口にする人である。

こんなエピソードがある。仕事の合間にAさんにプライベートなことを聞いたことがあった。

「昨日休みだったね、何していたの?」というような軽い問いかけにも生真面目に「町内会の役員当たっていてお掃除で、朝6時から公民館集合で」とか、聞いたこっちは軽い気持ちだったから(そこまで詳しく教えてくれなくていいのに)と困って笑ってしまう感じ。でも自分を開いている雰囲気がある。そんなコミュニケーションが取れる人である。

一方、数ヶ月遅れで入ったBさんである。Bさんは無表情で無口で指示待ちタイプ、教えても反応が薄く、はっきりわかったのか把握しづらい。1週間程度初歩的なことを教えたらモクモクとひとり作業している。聞いてくることが少なく独自のやり方をしていることがたまにあり「このほうが効率的ですよ」と教えても特に「あっ、そうなんですね。教えてくれてありがとうございます!」みたいな打てば響くような反応がないため、教えるのは正社員かよほどの教えたがりぐらいしかいなくなった。私は正社員でないし彼女らと同じパートなので、聞かれたなら教えるスタンスである。同じパートという立場なので付きっきりで教える筋ではない。

あるとき、Bさんは何とチームリーダーに楯突いて「この仕事はほとんどやったことがないので、できません」と断った。そしたら前からいる仕事のできるパートのCさんという人の仕事とチェンジすることとなった。

そのときBさんは無言だった。Cさんに対して「代わっていただいてありがとうございます」という一言を言わないんだ、と私は傍で見ていた。Bさん自身はリーダーの指示に従っただけで何ら自分に落ち度はなく悪くないと思ったのかもしれないが。

(良識ある大人なら自分のせいで本来の仕事を急に変えられたCさんに一言あって然るべきなのに)私はモヤモヤが募り、Bさんへの好感度が下がった。

Bさんのおとなしく受け身で、なのにできない主張だけするというのはどうも今後小さなうちのような職場では摩擦が起きるような気がしてならない。

この二人を見ていて思ったのは「ネゴシエーション力」というのは、その場の話し方や交渉術だけじゃない、ということだった。

刑事ドラマに出てくる人質交渉人は、いきなり要求や説得から入ったりしない。まず名前を呼び、相手の状況に耳を傾け、時間をかけて世間話のようなやり取りを重ねる。信頼という土台がなければ、どんな言葉も届かないからだ。あの「時間のかけ方」自体が、交渉の中身そのものなんだと思う。

Aさんの、ちょっと引くぐらい正直な自己開示や「ごめんなさい」「ありがとうございます」をきちんと言えることは、地味だけれど、日々ちょっとずつ積み立てている信頼貯金のようなものだ。これがあるからこそいざ「教えてください」「助けてください」と言ったときに、周りは「しゃーないな、助けてやるか」という気持ちになれる。

対してBさんは、この積み立てをしないまま「できません」という一方的な要求を通したわけだ。今回は確かに効いて、担当は変えてもらえた。でも小さな職場だから毎度それが通るとは限らない。今後「できないなら教えるのでできるようになってください」ともっと上の役職から言われるか強制的にシフト表に入れられることもあるかもしれないのだ。長くいるつもりなら逃げてばかりは通用しにくい。

日頃の積み立てがない状態での要求は、いっときの効果はあっても、後から代償を払うことになるまいか。評価が下がる。腫れ物に触るように扱われる。困ったときに、誰も進んで助けてくれなくなる。気づけば、自分で居心地の悪い場所にしてしまっている。

Bさんは言われたことに従っているし自分が悪いことをしたとは少しも思ってないかもしれない。でも数ヶ月経つのに周りに自分から関わっていこうという態度が見えないというのは、Bさん本人は気づかないままに生き辛くしてしまっていると私には思えた。

日頃のコミュニケーションという積み立てをしないまま、都合のいいところでだけ声を上げると、その代償は思っているよりずっと後になって、静かに返ってくる。

Bさんは周りの人から話しかけられることが少なく、職場に馴染む気配が半年以上経ってもない。入ったばかりの頃と少しも変わらないよそよそしさのままである。

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